働くことに思うこと

新大阪で起業した男の顚末まで

普通の経営者としてバスの乗車拒否を考える

 珍しく日曜日の朝に早起きしたため、せっかくなので久しぶりにテレビの電源を入れてみる。

私の大好きなまっちゃんことダウンタウン松本人志氏が出演するニュース番組。経済やタレントのニュースを幅広く扱う番組でとにかくまっちゃんは面白い。

そこで身体障害者車いす客を乗車拒否したけしからん運転手について賛否両論の意見が飛び出していたがせっかくなので普通の経営者の感覚としてまたも私の意見を述べたい。

 

コメンテーターの一人によると身内であれば乗車拒否はしないはずだという話。これは当然である。車いすの乗降で待たされると困るという一般意見。これも一理ある。さらには車いすが邪魔だという一般意見。これは教養レベルが低すぎるため無視してもよい。しかし経営者がこれらの回答ならば経営者失格だ。

 

大半の運転手が組織に所属する一個人であり、一個人がルールを逸脱する場合、この場合は「バスを遅延させる相当の理由」が組織で認められるケースに該当するかによる。

 バスを含む公共交通機関については日々運営に携わる方々の努力によって規則正しく運営されていることは異論のないところで、遅延した場合、組織での処分の対象となり得ることは会社員であればよくわかる。理由によって誰が責任の対象となるかはそれぞれの組織による。

 運行を妨げるような事案が発生した場合の対処方法についてマニュアルを設けていることも容易に想像できるが、社会的弱者の対応マニュアルについては非常に作成しづらい。なぜなら社会的弱者はそれぞれ違うからだ。当たり前だ。

 社会一般的には当然に弱者にやさしくすべきが常識であるが、企業経営上はそうはいかない。やさしさはコストが先行する。やさしくするのが当たり前、コンビニ24時間営業が苦しいなら時短して当たり前と原価計算や販売管理費の知識もなく無知で短絡な正義感をさも正義かのように振りかざさないよう注意したい。

 今回のバスの一件がニュースになる事もなく運行に10分以上の遅延を起こし、厳格な運行管理の会社に「車いすの乗客を乗せるためだった」と説明したならばどのような反応だっただろうか。きっと顛末書もしくは始末書とその証明が必要だっただろう。減給は難しいが一年間の昇給停止くらいなら十分ありえる。

 よくやったとパチパチ昇給をしてくれるような寛大(?)な会社ならば運がいいが、厳しい時間管理を逸脱する場合の理由について、運転手ごときの下位職者が上層管理部に言い訳する圧は相当なもので、普通の組織人であれば「運行時間を優先する」ことを優先するのも不自然ではない。

 私たちのような中小企業の普通の経営者からすれば今回の一件は運転手に非は無く、運行管理の例外として、車いす、または介助者(犬)が必要な客など歩行、視認に困難を伴うことが推察される顧客の乗降があった場合はバスを遅延させることに不利益扱い、つまりは処分の対象となり得ない旨規則上明文化し、さらにバス会社の運営方針として内外に広く周知してクレーマーを黙らせておく必要がある。当然、虚偽や規則の悪用については処分の対象となる旨も教育が必要であるが、ここまでやっていて運転手が乗車拒否したならば組織人として譴責程度の処分を負わせることができるかもしれないがどうやらそうでもなさそうだ。

 

一般市民の皆様の期待を一分でも裏切ることなく、

徹底した運行管理によって乗客の期待に応えるべき責務を優先し、

社会的弱者の救済まで配慮が行き届かなかった哀しきマネジメントであり、

 

CSR活動としてわかりやすい社会的弱者救済を、企業価値を高める手段として重点を置けなかった未熟さがあったというところが企業としての唯一の反省だろう。運転手に行為の非はない。

 

これに懲りて企業単位で社会的弱者に対する取り組みを広く周知させることができれば愛される会社としてまだまだ転じて福となる可能性は高い。良客は、価格ではなく心で買い物をすることを学ぶいい機会ともなろう。

 

組織の下位職者個人を責めるような考え方は普通の経営者は持たない。

個人を責めるのはワイドショ―に任せておいて、普通の経営者は個人を責めることの無いよう戒めたい。まして日曜日の昼前に起きだすようなユルい時間管理の経営者はバス会社も個人も責める資格はない。

 

 

RESUS社会保険労務士事務所

山田 雅人