働くことに思うこと

新大阪で起業した男の顚末まで

そんなに休んで何するの

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僕は定着率の低い会社の経営者に対して、とにかくまず従業員の休みを増やせと言っているけれども、妙なことを考えた。そういえば僕が会社員だった時も同じことを考えたことがあった。

 

休みを増やしたけれど、何もしていない人がいる。

 猛烈に働いてきた気の人たちは仕事が完全に生活のすべてになっていて、会社から休暇を強要されると何もすることがなく、場合によってはギャンブルや酒やいけない恋に入れ込んだりして、なんて意味のない一日の浪費と見下す充実した人たち。

若者は箸が転んでも楽しいので放っておいてもよいが、仕事に慣れきったた大人は放っておかれると困る人もいるのだ。いや、若者にも一部確かに存在する。目には見えないが確かに存在している。

 

そう、社会には一定数の休みたくない人がいるという事実。 

 

僕はとにかく一つのことばかりしていると精神が落ち着かなくなってしまうADHDを大人になっても引きずっているので、仕事もそこそこに読みたい本を読みまくったり、ゲームに没頭したり、散歩に出かけたり、変な生き物飼ってみたり、美術鑑賞したり、たまには深酒で自分を宇宙へ旅立たせたりして、広く浅く何事も身につかず、仕事は好きなのに他に興味が行ってしまう病と共存する毎日で、休日は当然、会社に文句をいわれても有給消化を強行して仕事から離れることを心がけていたけれど、人は全て同じではない。目の前の一つのことを徹底的に成し遂げたい。寝食を惜しみ寸暇も必要ない人間。よく言うと研究者や職人気質と言われる人たちを忘れている。

 

そんな人たちは何をしているかというと、やっぱり休みの日にも自宅のPCで資料作ってみたり、明けの朝にボリュームたっぷり仕事のアイデアをもって来たりする。絶対休日に細部まで仕上げたよね。

手は動かさなくてもずーっと仕事のことを考えている。

僕は関心するけれども、そういう人はだいたい口数が少なく声が小さい。

 

声高に働き方改革を謳い、ワークそっちのけで廃退的人生を謳歌したい人たちと完全対極にある希少な絶滅危惧種。住む場所を追われた職人たちはすっかり日陰で働き方改革にとって邪魔者でしかない。

インスタはじめ世間はインターネットのボーダーレス化により、充実した人生の粉飾に溢れている。そんな世間体という亡霊にもひたすら耐えているのかもしれない。

 

さてそんな休みたくない人をどうするか。

オーバーワークは必達なので無理やり休ませてもよいが、ちょっとかわいそう。

「僕は休みたくないので働かせてください」と一筆書かせてもどうせ無効だし、

「役員か管理監督者扱いにして自由に働かせ」てもめちゃめちゃきっちり平社員の如く出社してウザいし、

 「本人の自由な意思で強制労働していた」なんて裁判所が認定するはずないし、

業務委託契約にして労働者扱いしない」ことも批判が多そうだし、

「あいつは研究者なので」って言っても会社は研究機関じゃないし、

「有給休暇の消化強要は法律違反です」なんて言い出すとわけわからないし、

「経営者と養子縁組して労働法の適用を免れる」にはハードルが高すぎる。

結局のところ働きたくて働きたくて仕方ない人たちの働く場所は無いということになる。一つあるならば自ら経営者になることだけか。それもまた酷。

 

僕は無責任に休め休めというが、休んで何するのかは個人の自由だし、難しい言葉を使うと個の侵害というやつなので休日のことは何にも聞かない。

 

休んで旅行のお土産なんかがあったときはサンキューだし、休み明けにパートナーとのデートの話なんかをされるととても微笑ましいが、じゃあなにもしていない(どこにも出かけていない)のに休んだ人たちは負い目があるのではないかと勝手に配慮してみる。

  

いま経営者は、ひと昔前まで暗黙に抹殺されていたハラスメントや労災隠しや労働紛争や未払い賃金や退職報復に必要以上におびえていて、配慮の配慮まで配慮しなければならなくなっている。休息の強要もハラスメントになりかねない。

 

ところで、休みの日に本当に勝手に出社する奴を、会社はどんな優しい言葉で帰らすのだろう。

 

休むのも仕事。は仕事が生き甲斐の人には詭弁。

 

そんなに休ませて何させるの?

そんなに休んで何すればいいの?

 

知らんがな。休め。

 

RESUS社会保険労務士事務所

山田 雅人