働くことに思うこと

新大阪で起業した男の顚末まで

辞めればいいやんなんて言えないよ

働く人たちは皆それぞれ悩みを抱えて働いている。

僕は少しでもそんな人たちの役に立ちたいと思って会社を創業したけれど、40にして惑いまくっている。

僕が休日に実施している労務相談は法律を勉強したつもりの僕が悩める労働者や新米経営者たちにありがたいお話をしてズバッと解決してやろうと開始したのだけれど、ごう慢なおごりだった。全然ズバッと解決できてない。

パワハラで悩んでいる若い社員にも、今後改善するかもしれない会社に対して、その会社が法律違反しているから辞めた方がいいなんてはっきり言ってしまっていいのだろうか。辞める以外の方法は出し尽くしただろうかと悩む。

大手企業で立派な肩書きもある人が独立の相談にきても、自信をもって背中を押してあげればいいとも思うけれど、起業はそんなに甘くない。果たしてこの人はやっていけるのだろうか、と考えると、止めたほうがいいと思ってしまう。

飲食店の開業なんて絶対にやめた方がいいと思っているけれど、熱意も愛嬌もあってもしかしたらいけるんじゃないかなんて思ってしまう。

物差しは結局皆それぞれにあるもので、助言じゃなくて意見を聞きたいだけだから、あまり自分と重ねないようにした方がいいのだろう。

会社なんて辞めて自由に生きればいいやん、昔はそう思っていたし、僕自身もいつでも辞めれるように辞表はカバンに入れていたけれど、ひどいパワハラも、超長時間労働も、無給休日出勤も、賃金未払いも、リストラも、今思えば(辞めさせられる前に)辞めなくてよかったと思っている。苦労は買ってでもしろと昔の人は言っていた意味がよくわかる。逃げ続ける人生には必ず行き止まりが来る。はず。

僕は特別だと自分で思っているし、人はそれぞれ当然に特別な存在で、それぞれの長い人生には自分以外で責任を取ってくれる人はいない。

会社員時代に部下が病気で苦しんでいたときも、喉元まで来る言葉が言えなかった。辞めてもいい社員なんていなくて、それぞれに役割があって、辞めて良かったと思える将来が待っているだろうか。苦しんでいるなら開放してあげた方がいいのかもしれないけれどやっぱり言えない。

辞めた後の責任はとれないし、辞めなかった事の責任だってとれない。

君の人生は無限かもしれないし、有限かもしれない。無限の可能性は明るいばかりではない。

辞めずに頑張ってもいいことなんてないかもしれないし、大した技術もない人間が他社で活躍できるとも思えない。優秀な人間もその会社での話で、他社でも優秀かどうかはわからない。

辞めて良い結果が出ればいいけれども、僕は辞めなかったことに満足している。

人生は選択の連続だとは言うけれど、その分かれた道の先は未知で、もっと苦しいことが訪れたときにまだ逃げ出せる選択肢は残っているだろうか。

人生は失敗ばかりだけれど、その失敗の積み重ねが大きな成功を引き寄せる。

どんなに苦しくても、辞めればいいとは限らない。

 禍福は糾える縄の如し。縄と蝿は似た漢字。

 

 

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