働くことに思うこと

新大阪で起業した男の顚末まで

会社のお金がない(3回目)

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会社経営にはたくさんのお金がかかる。

当社のような従業員10人未満の零細会社でも、月に300万円くらいは軽く消えていく。

事務所家賃、光熱費、給与に社会保険料、交際費に広告費用。税金は後払いだね。

一番最初にお金が足りないと思ったのは創業するとき。

僕は担保になるような不動産はもっていないけれど、会社を創業するときには結構な自由になる金融資産があったので、何とかなるわと心底思っていた。でも全然足りなかった。(1回目)

 

お金は予期せぬタイミングで必要になる。人生の決断は突然やってくる。またそんなときに限って重なるもので、人に貸したり出資したりしていると500万円くらいは屁のように消えていく。

 

なんとか工面してようやく事務所を借りて、事務機器やデスクを用意して、事業開始の準備は整ったけれど、従業員がいないとお仕事自体を開始できないので、採用していかなければならない。

 っていっても採用する前からお金がかかる。求人媒体の広告費用ってびっくりするくらい高い。僕は正直こんなに高いとは知らなかった。創業したばかりの会社では到底ムリ。

 

必要最低限の経費に目をつぶっていても、目を開ければまたお金がすっからかん。(2回目)

仕方ないので融資を受けることになるのだけれど、借金が嫌いな僕は必要最低限で何とか頑張ろうと思っていた。

 

ようやく従業員たちを増やしてはりきって事業を開始するけれども、台風やら地震やら気に入らない客断ってるとまたまたお金なくなる。(3回目)

 

 ベテランの経営者様たちからはアホやと笑われそうだけれど、僕みたいな新米経営者(素人)は沢山いると思う。経営は規模を問わずお金との格闘で、資金調達方法を知っているのと知らないのでは大違いだといい勉強をした。2年前の自分の耳元で囁いてやりたい。

 

やりたいことに自信があるならば、借金なんて恐れちゃアカンでー。

借金は早いほうがいい。後から借りるのは至難やでー。

補助金助成金をフル活用すれば、超楽チンやでー。

求人広告に高い金払うの無駄。中小企業はハロワとインディードで十分やでー。

 

経営者になれば借金嫌いなんて言ってられない。

 

銀行は相変わらず中小には貸す気ゼロだけれど、 

政策金融公庫はすぐ貸してくれるし、

商工会の融資なんて超低金利

助成金なんて手続きしとけば忘れたころに大金ポイポイ振り込んでくれるし、

あの商工中金だって中小企業に興味深々で超親切。 

  

 リスクを負って成果を得る繰り返しの経営において、お金というファントムを必要以上に恐れてはならない。(だからといって冗費で散財してると嫌われて死ぬ。)

 借金は信用と期待の数値。事業に自信と熱意があるならば、支援したい人や会社は沢山いる。自己資金だけで頑張ろうなんて思わずに早めにガンガン借金した方がよい。僕はいまは開き直って借金を増やしている。挑戦と成長を義務付けられた気楽な経営者になった。 金は無いが賑やかな会社は居心地がいい。

  ちなみに、いまは連帯保証人や担保がいらない借り入れ方法もあるので、万が一失敗したとしても再起不能で死ぬことは無い。昔と違って、チャレンジを繰り返すことができる時代なのだ。どうせ失うものなんてはじめからもってない。起業のチャンスは何度も訪れない。

 

さぁ4回目ものりきるぞ

 

 

resus.jp

きょうは体育の日

今日は体育の日で祝日。さわやかな秋晴れで風が気持ちいい。

そんな今日もわが社はいつも通り営業しているわけであるが、数日前からやたら嬉しそうに今日の休みをアッピールしてくるオッサンがいるので仕方なく聞いてやったところ、本日は子供の運動会とのこと。だろうね。

僕たちはいろんな目的のために働いているわけであるが、あるものは自分のため、家族のため、あるものは世界平和のために働く。

バブル世代のオッサンは若いころから仕事ばかりの暮らしで、家族の時間より仕事。仕事漬けの生活で家庭はほったらかしの人が多いらしいが、うちのオッサンも例外ではなく家族との時間はほとんどなかったそうな。

それは仕事終わっても無駄に飲み歩いてるからやろがと若者たちは思うだろうけど、当時は飲みニケーション全盛期で、今のように有能無能の上司からのお誘いをバッサリ断るようなツワモノは閑職送り、夜の付き合いこそが仕事の評価を決める暗黒の時代だったのだ。

時代は変わって会社は家族や友人やパートナーたちとの時間を大切に、ワークライフバランスの考えも定着しつつあるが、わが社はそんな贅沢崇高な考えよりもたいして仕事が無いのでそもそも休みが多い。当所は少々戸惑いもあったようだが最近は嬉しそうに子供との時間を聞いてもいないのに報告してくる。オッサンが嬉しそうなのはキモ微笑ましい。

父親とはむなしい生き物で、娘も息子も嫁さえも、僅かな時間を過ぎるとそのうち父親を必要としなくなる。母親はキモかったり臭かったりしないが、父親はキモく臭い。温かい家族から激しく拒絶されるXデーに怯えて日々懸命に家族サービスに勤しんでいる。健気な生き物だ。

本日は快晴で、家族の運動会。オッサンたちは楽しんでいるだろうか。慣れない運動でケガなどしないことを祈りつつ。ケガしても労災は認定されません。

 

 RESUS社会保険労務士事務所

山田 雅人

僕は僕が働きたい会社をデザインする

サラリーマンだった僕が起業して辞めた10の事

 

①飲み会を辞める

②会議を辞める

③掃除を辞める

④無駄口を禁止することを辞める

⑤ノルマを辞める

⑥辞める人を引き留めることを辞める

⑦無茶な客と付き合いを辞める

⑧会社の経費で酒を飲むことを辞める

⑨決算書を隠すことを辞める

⑩好き嫌いを辞めることを辞める

 

10年ちょっとサラリーマンをしていて、いつも嫌だったことはやめようと思っていた。僕が作る会社はかわいそうな僕でも働いてやろうかと思う気持ちになりそうな会社を設計した。つまり、これは社長である僕が勝手に決めた極めて独善的なルールだ。別にいいのだ。僕は社長なのだから。

 

 僕は営業しかしたことがないので、とにかく飲み会が多かった。社内でも、客とも、ゴルフなんて誘われたりすると週7日飲み会しているようなもので、長時間労働にプラスされて3日くらい続くと明らかに沈鬱へ向かっていることがわかる。それでも残りの飲み会をこなさないといけないし、嫌な上司や、嫌な客との強制的な夜の付き合いが続く。大体酒が好きな連中は異性が大好きで、Hなお店に行くことだってあったし、高額なラウンジだって行った。タダならよいが、薄給の自腹はたまらない。

 それでも僕は人付き合いが人より上手なので、飲み会で喧嘩することは極めて稀だったけれど、いつも楽しんでいると思われるのはもっと嫌で仕方なかった。察せよ、読めよ、悟れよ。俺は早く帰りたいんだよ。

 だから僕の会社では飲みニケーションをしない。僕に限っては、対等なお付き合いができるお仕事上のお友達とは行くことがあるが、お酌もヨイショもせず、好きなことを言って帰るので別にそんなにストレスにはならない。今は運よくお酒の会が好きな社員もいないし、誘うことも誘われることも無くて気楽でいい。会社のためにプライベートの時間を犠牲にさせるべきではない。会社は家族ではなく、限られた時間だけを共有するチームなのだ。

会議も一切しない。

営業はとにかく会議が好きで、毎週毎週お偉いさんの前で数字を発表する会議がある。何もなくても何かどうでもいい議題で会議を開きたがる。そして長い。会社員の労働時間はタダだと思っているのだろうか。もちろんサービス残業会議なのでストレスはしっかり溜まる。僕の会社の従業員の時間はタダではないので、無駄な会議に時間を使うならば別の事に使わせる。僕自身も会議に時間を使いたくない。会議の時間があれば本一冊読めちゃう。朝礼も掃除も何かの当番も同じ考えだ。但し、役員の労働時間は無限にタダなので掃除をさせることにしている。残念ながら役員は僕しかいないので、僕は一人でせっせと掃除しているが、そのうち役員になるやつが現れたら楽しく一緒に掃除したいと思う。

 

会議を辞めた代わりに、無駄口を禁止することを辞めた。

日ごろから無駄口ばっかり聞いていれば、仕事の事だって話しやすい。無駄口禁止を辞めてから、社内の雰囲気は大変良くなった気がする。一人一人は無秩序だが、チーム全体でみると秩序があっていい感じ。なにより無駄口は楽しい。

 

営業マンもいないので、わが社はノルマという概念がない。お取引先やお友達からお客さんを紹介してもらっているので、ノルマどころか客まで選ぶ始末。おかげでいつも金は無い。しかし、サラリーマン時代に嫌な客と長く付き合って失敗しつづけてきた結論としては、会社は客を選ばなければならない。客を審美する眼を磨かなければならない。そうでないと、あとあと後悔するのだ。会社が変な客と付き合うとチームが疲弊してしまう。僕の会社は好きなお客のために全力を尽くすため、変な客に時間を割かないことにしている。といっても時々変な客がいるが、それは高い報酬をちゃんと払ってくれるからいいのだ。

 

それから、辞めると言ってきた社員は引き留めないことにしている。一度辞めると言い出すと、必ずまた辞めると言い出すから引き留めるだけ時間の無駄なのだ。僕が好き勝手にデザインした会社は当然合わない人もいるから仕方がない。サラリーマン時代の同僚や部下には口癖のように辞めるを連発して自分だけの待遇を改善しようとする愚か者が何人もいたが、僕の会社ならすぐに辞めてもらうことにしている。どうせすぐ辞めるのだ。人事だって好き嫌いさ。

 

yamadaresus.hatenablog.com

 

 

僕はたくさんのことを辞めたおかげで、自由にのびのびと働けている。僕は毎日出勤するのが楽しい。僕の分だけおやつがなかったり、毎日来るなとか自己中とかサイテーとか首絞めたろかとか今日はおやつ無いのかとかパン買ってきてとか社員に言われたりして愛情の裏返しをひしひしと感じているが、それでも僕は会社に来るのが楽しい。僕は社長で社畜なのだ。僕は僕が働きたかった会社をデザインしている。

 

ところで社長、君の会社で君は働きたいか?

 

 

株式会社RESUS

代表取締役 山田 雅人

自社の求人業務を外注することのヤバさ

どこもかしこも人手不足。人手不足倒産などという恐ろしいキーワードもよく見かけるこの頃。

さすがこんな時代に群がる人材ビジネス業の多いこと多いこと。(当社も群がっている)

 応募しても誰も来ない。最近はアクセス数までしっかり教えてくれる有難迷惑な媒体も多いので、アクセスの低さにがっかりして諦めている中小企業も少なくないだろう。

 

しかし、それでも求人業務を外注してはいけない。

 

 それは、あなたの会社が誰にでもできる単純作業のお仕事で、既に、もしくは今後確実に斜陽の一途をたどるであろうと自ら自覚している会社であれば外注してもよいが、自社の仕事にこだわりをもち、誰にでもできる仕事も確かにあるが、誰にもできない仕事もあるような場合には絶対に求人業務をおろそかにしてはいけない。理由はもうわかっているはず。

 

人材会社に払う金が無駄なこと

採用した人材の無能を他責する悪癖が付くこと

自社の製品、人材、経営ポリシーを考える脳が退化すること

 

求人広告を見れば会社がわかる。求人票は会社のすべてを表している。うまく表現することができない会社のために、専門の業者たちが会社をピカピカに着飾って広告を出してくれる。

そして求人広告会社や代理店は一律の着手金と、採用に至った際にたっぷり報酬を回収していく。

採用に至った際の報酬はよいとして、着手金ってなんじゃ?

成果報酬を得るための準備にも金取るの?それも会社が負担するの?君の会社はどんなリスクを負ってるの?まさかノーリスク??

 

自称コンサルタントたちはいつだって自分がリスクを負わないことの専門性に長けていて、自信を口にする割には成果報酬を嫌がる。自信があるなら着手金なんか取らずに成果報酬でたっぷり取ればいいのに、口ばっかりのイポーン野郎ばっかりで辟易している。

 

あなたの会社のお仕事はどんな仕事だろうか。

人材がいなくても滞りなく経営できる事業性だろうか。

人材の能力は全く関係のない機械的な仕事だろうか。

 顧客サービスなんて無視しても問題ないくらい独創的な仕事だろうか。

 

人によって業績が影響される業種においては求人業務の丸投げ外注は絶対にやってはいけない。

人材会社に払うならば、社員に払え。採用に手抜きする会社が成功することは無い。

 

自社で頑張って作成した求人票に縁を感じて応募してくれる求職者を採用すれば、責任をもって教育するココロが生まれる。逆に誰か知らない人が採用してきた社員を責任をもって教育できるだろうか。

 

社員の能力は、すべて会社の体質によって決まる。

無能な新入社員がいる会社は、その会社の採用力が無能なだけで、

無能な中堅社員がいる会社は、その会社の教育力が無能なだけで、

つまり無能な社員がいる会社は、その会社の社長が無能なのだ。

 

一つでも当てはまってしまうような不幸を回避したいのなら、求人は会社をあげて全力で取り組まなければならない。全力で取り組んだのならば、多少おバカな新人でも可愛いくてたまらない。自分の無能は認めたくないのだ。

 

 

resus.jp

そんなに休んで何するの

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僕は定着率の低い会社の経営者に対して、とにかくまず従業員の休みを増やせと言っているけれども、妙なことを考えた。そういえば僕が会社員だった時も同じことを考えたことがあった。

 

休みを増やしたけれど、何もしていない人がいる。

 猛烈に働いてきた気の人たちは仕事が完全に生活のすべてになっていて、会社から休暇を強要されると何もすることがなく、場合によってはギャンブルや酒やいけない恋に入れ込んだりして、なんて意味のない一日の浪費と見下す充実した人たち。

若者は箸が転んでも楽しいので放っておいてもよいが、仕事に慣れきったた大人は放っておかれると困る人もいるのだ。いや、若者にも一部確かに存在する。目には見えないが確かに存在している。

 

そう、社会には一定数の休みたくない人がいるという事実。 

 

僕はとにかく一つのことばかりしていると精神が落ち着かなくなってしまうADHDを大人になっても引きずっているので、仕事もそこそこに読みたい本を読みまくったり、ゲームに没頭したり、散歩に出かけたり、変な生き物飼ってみたり、美術鑑賞したり、たまには深酒で自分を宇宙へ旅立たせたりして、広く浅く何事も身につかず、仕事は好きなのに他に興味が行ってしまう病と共存する毎日で、休日は当然、会社に文句をいわれても有給消化を強行して仕事から離れることを心がけていたけれど、人は全て同じではない。目の前の一つのことを徹底的に成し遂げたい。寝食を惜しみ寸暇も必要ない人間。よく言うと研究者や職人気質と言われる人たちを忘れている。

 

そんな人たちは何をしているかというと、やっぱり休みの日にも自宅のPCで資料作ってみたり、明けの朝にボリュームたっぷり仕事のアイデアをもって来たりする。絶対休日に細部まで仕上げたよね。

手は動かさなくてもずーっと仕事のことを考えている。

僕は関心するけれども、そういう人はだいたい口数が少なく声が小さい。

 

声高に働き方改革を謳い、ワークそっちのけで廃退的人生を謳歌したい人たちと完全対極にある希少な絶滅危惧種。住む場所を追われた職人たちはすっかり日陰で働き方改革にとって邪魔者でしかない。

インスタはじめ世間はインターネットのボーダーレス化により、充実した人生の粉飾に溢れている。そんな世間体という亡霊にもひたすら耐えているのかもしれない。

 

さてそんな休みたくない人をどうするか。

オーバーワークは必達なので無理やり休ませてもよいが、ちょっとかわいそう。

「僕は休みたくないので働かせてください」と一筆書かせてもどうせ無効だし、

「役員か管理監督者扱いにして自由に働かせ」てもめちゃめちゃきっちり平社員の如く出社してウザいし、

 「本人の自由な意思で強制労働していた」なんて裁判所が認定するはずないし、

業務委託契約にして労働者扱いしない」ことも批判が多そうだし、

「あいつは研究者なので」って言っても会社は研究機関じゃないし、

「有給休暇の消化強要は法律違反です」なんて言い出すとわけわからないし、

「経営者と養子縁組して労働法の適用を免れる」にはハードルが高すぎる。

結局のところ働きたくて働きたくて仕方ない人たちの働く場所は無いということになる。一つあるならば自ら経営者になることだけか。それもまた酷。

 

僕は無責任に休め休めというが、休んで何するのかは個人の自由だし、難しい言葉を使うと個の侵害というやつなので休日のことは何にも聞かない。

 

休んで旅行のお土産なんかがあったときはサンキューだし、休み明けにパートナーとのデートの話なんかをされるととても微笑ましいが、じゃあなにもしていない(どこにも出かけていない)のに休んだ人たちは負い目があるのではないかと勝手に配慮してみる。

  

いま経営者は、ひと昔前まで暗黙に抹殺されていたハラスメントや労災隠しや労働紛争や未払い賃金や退職報復に必要以上におびえていて、配慮の配慮まで配慮しなければならなくなっている。休息の強要もハラスメントになりかねない。

 

ところで、休みの日に本当に勝手に出社する奴を、会社はどんな優しい言葉で帰らすのだろう。

 

休むのも仕事。は仕事が生き甲斐の人には詭弁。

 

そんなに休ませて何させるの?

そんなに休んで何すればいいの?

 

知らんがな。休め。

 

 

 

 

resus.jp

 

 

好き嫌いの無い人事はあまりに不公平

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あの子は社長のお気に入り。

上司はあの子にだけ甘い。

 

どの組織においても同じようなことがよくある。

 

待遇がよいと社長の愛人などと噂する下劣な精神の人間も多い。

 

さて、人事はルールに従って運営することが基本であるが、ルールに厳格なだけでは組織運営はできない。厳格さの中にも配慮の心を持たなければ公平と思っているだけで不公平になっていることはよくある。

 

例えば、毎日早めに出社し予期せぬ交通機関の遅延等で遅刻しないよう心がけている従業員と、常に数分前に慌てて出社する従業員の遅刻は同じ扱いでよいだろうか。

 

暴飲暴食やジャンクフードが主食で急な病欠ばかりの従業員と、そうでない従業員の欠勤は同じ扱いでよいだろうか。

 

既婚か独身か、子の有無や家族構成で不就労扱いを変えることは公平か。

 

喫煙者と非喫煙者の残業時間は同じ扱いでよいだろうか。

 

卑屈な人間と闊達な人間も同一労働であれば同一賃金か。

 

以上の例でも一様に同じ扱いをすることは公平と呼んでいいのだろうか。

  

労働関連法では労働時間や懲戒処分について厳しく定められているが反面、赦免や評価については経営の判断で全く問題ない。評価は当然として、多少の赦免も公平性のバランス維持には必要だと考える方が合理的だ。

 

組織とはいえ、個の集団である以上それぞれ事情があり、ルール違反の徹底処分はマネジメントの放棄ともいえる。やはり日ごろの行いを基準とした好き嫌いで人事行使することは必要なことだと思う。好き嫌いの無い公平な人事方法があるならば是非教えてほしい。

上司の顔色ばかり窺うヒラメ人間を嫌う人間は多いが、組織は指揮命令の上意下達で成り立っている。同族を除き労せず出世するものなどいない。上司の顔色を窺わず、自分で自由に仕事をしたいのなら組織に属さずその優れた能力を大いに奮って社会の役に立てばよい。労働契約ではなく業務委託に切り替えてほしいと会社に進言するのもアリだ。

嫌な上司に媚びへつらうことすらできない人間が、嫌な客やトラブルに対して毅然と対応できるかどうかも怪しいものだ。嫌な人間ともうまく付き合える人間を評価しないのならばそれも不公平なのだ。

 

 信賞必罰と赦免の使い方で従業員のモチベーションは大きく変わる。ルールに厳しいだけの下手なマネジメントでは優秀な社員の士気を下げるばかりで、現代の企業にとってはマイナスしかない。能力や経験は本人次第だが、モチベーションだけは組織運営に理由がある。

 

 だからと言って特定の人間ばかりを食事に連れて行ったり、労働時間外での付き合いによって客観性を失う(処分が甘くなる)ことはよくあることで、管理者と労働者が過度に親しく見えると余計な誤解を招くので注意したい。

 

良きマネージャーとはつまり、上手に好き嫌いのできる人物である。

不公平に不満ならば自身の信用を高めるしかない。我がを顧みず卑屈な人間は誰からの信用も得られず赦免されることもない。また信頼とは評価であり、評価のない者に重要な仕事は任せられない。信頼とは良き今の積み重ねの総量なのだ。

 

働く側も、自分にだけ厳しいとか、給与が低いとか、裁量を与えてもらえないと不平に思うときには、自分は信頼される人間であるか客観的に考える必要がある。信頼を得ている人物は総じて、他人に見えないところで工夫と苦労を重ねている。不平不満ばかりの卑屈人はどの組織においても必要とされることは無いので少なくともお金の文句だけは言ってはならない。そして簡単な仕事には安い報酬と相場は決まっている。

社会にかかわる以上は役に立つ人間であるほうが働く喜びも増す。人と比較せず自分の能力を磨き、信頼できうる人には人が集まり、仕事が集まり、いずれ富は集まるのが摂理。信頼のない人間には何も集まらないのも摂理。自分本位の公平を期待せず、信頼という好き嫌いで経済が回っていることも理解すれば、世の中は少しは働きやすく生きやすい。

 

 

 

resus.jp

AIの家畜となるか、AIを飼うか。

副業許可の圧力が押し寄せている。

 ワークライフバランスだの、働き方改革だの、サマータイムだの、労働時間是正だのと官僚に言われると、働くことはそんなに悪いことなのかと私のような古い人間は思うのです。っていうか厚労省は口だけで自分とこ超ブラックやんけ。

  そこへきてまた副業を許可しろしろアピールで、働かせたいのか働かせたくないのかどっちやねんとも思うのです。

 私も一応経営者でして、労務についても少しは齧っておりますので良いこともあるとは理解していますが、さて鵜呑みにした人たちが求める自由で多様な働き方について、老婆心から非常に危惧しているこの頃。

さてそんな当社は、副業は鼻から禁止しておらず、また許可もしていない中途半端な状態が続いております。実際に既にダブルワークの従業員もおりますので、「明文化していないが実質的に許可している」状態です。

 しかし、経営者という立場上、法律はしっかり守らなければなりませんし、許可するのならば当然条件も付けるべきだというのが私のスタンスです。世の副業者(複業含む)の半数以上は収入の増加が目的とのことですが、さてその収入は何に使っているのでしょうか。

 耳障りの良い標語に扇動され労働を否定している人たちの本業は何なのか、何がしたいのかという自己の指針を持たずに働く行為から逃げている人もいるのではないでしょうか。

豊かさはいらないから、自由な時間が欲しいというなら理解できますが、豊かさも自由も欲しいという人はいませんか?そんな都合よく世の中はできていません。あなたが得た自由はだれかの不自由によって成立し、その若く都合の良い自由の代償は、将来老いたあなたが負うかもしれません。一時の安楽のために、将来を犠牲にしていませんか?働かざる者食うべからずって知ってますか?

 

さて副業の条件を考えてみましょう。私の会社は事務専業ですので、頭をフル活用したデスクワークをみっちり所定時間行う必要があります。正直疲れます。

 よって第一に、業務に影響がないこと。は絶対条件です。

残念ながら人間は疲労する生き物ですから、業務外のことで睡眠不足や疲労によってパフォーマンスが下がることは禁止しなければなりません。

 それから、同日の労働であれば本業より後にすること。

これは、労働時間の算出は副業であっても通算すべきと法は解釈しているからであり、当然発生する割増賃金は通算して後の会社が負担することがルールとなっているからです。実態として把握できませんので守っている会社は無いようですが、短い時間しか提供していないのにいきなり割り増し賃金は経営者の立場からするとあまりにも酷です。他の社員との公平性も問題となります。社会保険と税金は見逃せませんが長くなりますので割愛します。

 そして、本業の機密事項を流用、又は技術を提供する業務に従事しないこと。

これも大切なことです。同業者へ行けば健全な競争原理の阻害となり、また情報漏洩は懲戒の対象となりますので許可することはできないでしょう。

 そんなこんなで、結局のところ労働に該当しないようなボランティア活動や経験値獲得のための多様な職業をチョイスして同時並列的に行うことが望ましいのでしょうがさて、本当にやりたいことがあるのなら、副業のような安全を踏みながら中途半端に実施して事をなすことができるでしょうか。兼業であれば収入ゼロのリスクを回避する方法としてアリですが、兼業等の多重就業は報酬支払者すべての了解を得ておかなければ後で面倒なことになることは言うまでもありません。

  

どうせならば目先の利益にとらわれず、将来の自分へ投資するために鬱になるほど勉強してみたり、自分の秀でた才能を徹底的に磨いてみたり、未知の世界へ無防備で飛び込んでみたり、アイドルオーディションに応募してみたり、器用な手先を活かしてオンリーワン商品を作ってみたり、関係のない他社で非常勤の取締役になってみたりしたほうが健全です。ちなみに、お金は無くてもアイデアと熱意があれば起業できます。社長になりたいならどんどん起業しましょう。

 言葉の響きに惑わされて将来の自分を犠牲にしないよう、副業も、本業も、しっかり将来の投資となるような選び方をすることが必要で、お金が無いと言い訳する人間はお金に縛られ、一生誰かに隷属して愚痴るだけで、充実した人生という喜びは見つけられないでしょう。

 ワークライフバランスって言ってるくせに、家でテレビ見てるだけならすぐAIの家畜となるし、誰でもできる簡単なバイトを掛け持ちする程度ならば責任のある仕事でスキルを高める苦労を重ねた方が良いでしょう。追い抜かれたら二度と追い付けないのです。

 

一日でも長くAIの先を走っていられるのは、日々努力と挑戦を重ねた者たちだけ。

 副業するなら将来の自分のために。世の中は苦労するほど甘くなる。

 

 

RESUS社会保険労務士事務所

山田 雅人