働くことに思うこと

新大阪で起業した男の顚末まで

自社の求人業務を外注することのヤバさ

どこもかしこも人手不足。人手不足倒産などという恐ろしいキーワードもよく見かけるこの頃。

さすがこんな時代に群がる人材ビジネス業の多いこと多いこと。(当社も群がっている)

 応募しても誰も来ない。最近はアクセス数までしっかり教えてくれる有難迷惑な媒体も多いので、アクセスの低さにがっかりして諦めている中小企業も少なくないだろう。

 

しかし、それでも求人業務を外注してはいけない。

 

 それは、あなたの会社が誰にでもできる単純作業のお仕事で、既に、もしくは今後確実に斜陽の一途をたどるであろうと自ら自覚している会社であれば外注してもよいが、自社の仕事にこだわりをもち、誰にでもできる仕事も確かにあるが、誰にもできない仕事もあるような場合には絶対に求人業務をおろそかにしてはいけない。理由はもうわかっているはず。

 

人材会社に払う金が無駄なこと

採用した人材の無能を他責する悪癖が付くこと

自社の製品、人材、経営ポリシーを考える脳が退化すること

 

求人広告を見れば会社がわかる。求人票は会社のすべてを表している。うまく表現することができない会社のために、専門の業者たちが会社をピカピカに着飾って広告を出してくれる。

そして求人広告会社や代理店は一律の着手金と、採用に至った際にたっぷり報酬を回収していく。

採用に至った際の報酬はよいとして、着手金ってなんじゃ?

成果報酬を得るための準備にも金取るの?それも会社が負担するの?君の会社はどんなリスクを負ってるの?まさかノーリスク??

 

自称コンサルタントたちはいつだって自分がリスクを負わないことの専門性に長けていて、自信を口にする割には成果報酬を嫌がる。自信があるなら着手金なんか取らずに成果報酬でたっぷり取ればいいのに、口ばっかりのイポーン野郎ばっかりで辟易している。

 

あなたの会社のお仕事はどんな仕事だろうか。

人材がいなくても滞りなく経営できる事業性だろうか。

人材の能力は全く関係のない機械的な仕事だろうか。

 顧客サービスなんて無視しても問題ないくらい独創的な仕事だろうか。

 

人によって業績が影響される業種においては求人業務の丸投げ外注は絶対にやってはいけない。

人材会社に払うならば、社員に払え。採用に手抜きする会社が成功することは無い。

 

自社で頑張って作成した求人票に縁を感じて応募してくれる求職者を採用すれば、責任をもって教育するココロが生まれる。逆に誰か知らない人が採用してきた社員を責任をもって教育できるだろうか。

 

社員の能力は、すべて会社の体質によって決まる。

無能な新入社員がいる会社は、その会社の採用力が無能なだけで、

無能な中堅社員がいる会社は、その会社の教育力が無能なだけで、

つまり無能な社員がいる会社は、その会社の社長が無能なのだ。

 

一つでも当てはまってしまうような不幸を回避したいのなら、求人は会社をあげて全力で取り組まなければならない。全力で取り組んだのならば、多少おバカな新人でも可愛いくてたまらない。自分の無能は認めたくないのだ。

 

 

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そんなに休んで何するの

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僕は定着率の低い会社の経営者に対して、とにかくまず従業員の休みを増やせと言っているけれども、妙なことを考えた。そういえば僕が会社員だった時も同じことを考えたことがあった。

 

休みを増やしたけれど、何もしていない人がいる。

 猛烈に働いてきた気の人たちは仕事が完全に生活のすべてになっていて、会社から休暇を強要されると何もすることがなく、場合によってはギャンブルや酒やいけない恋に入れ込んだりして、なんて意味のない一日の浪費と見下す充実した人たち。

若者は箸が転んでも楽しいので放っておいてもよいが、仕事に慣れきったた大人は放っておかれると困る人もいるのだ。いや、若者にも一部確かに存在する。目には見えないが確かに存在している。

 

そう、社会には一定数の休みたくない人がいるという事実。 

 

僕はとにかく一つのことばかりしていると精神が落ち着かなくなってしまうADHDを大人になっても引きずっているので、仕事もそこそこに読みたい本を読みまくったり、ゲームに没頭したり、散歩に出かけたり、変な生き物飼ってみたり、美術鑑賞したり、たまには深酒で自分を宇宙へ旅立たせたりして、広く浅く何事も身につかず、仕事は好きなのに他に興味が行ってしまう病と共存する毎日で、休日は当然、会社に文句をいわれても有給消化を強行して仕事から離れることを心がけていたけれど、人は全て同じではない。目の前の一つのことを徹底的に成し遂げたい。寝食を惜しみ寸暇も必要ない人間。よく言うと研究者や職人気質と言われる人たちを忘れている。

 

そんな人たちは何をしているかというと、やっぱり休みの日にも自宅のPCで資料作ってみたり、明けの朝にボリュームたっぷり仕事のアイデアをもって来たりする。絶対休日に細部まで仕上げたよね。

手は動かさなくてもずーっと仕事のことを考えている。

僕は関心するけれども、そういう人はだいたい口数が少なく声が小さい。

 

声高に働き方改革を謳い、ワークそっちのけで廃退的人生を謳歌したい人たちと完全対極にある希少な絶滅危惧種。住む場所を追われた職人たちはすっかり日陰で働き方改革にとって邪魔者でしかない。

インスタはじめ世間はインターネットのボーダーレス化により、充実した人生の粉飾に溢れている。そんな世間体という亡霊にもひたすら耐えているのかもしれない。

 

さてそんな休みたくない人をどうするか。

オーバーワークは必達なので無理やり休ませてもよいが、ちょっとかわいそう。

「僕は休みたくないので働かせてください」と一筆書かせてもどうせ無効だし、

「役員か管理監督者扱いにして自由に働かせ」てもめちゃめちゃきっちり平社員の如く出社してウザいし、

 「本人の自由な意思で強制労働していた」なんて裁判所が認定するはずないし、

業務委託契約にして労働者扱いしない」ことも批判が多そうだし、

「あいつは研究者なので」って言っても会社は研究機関じゃないし、

「有給休暇の消化強要は法律違反です」なんて言い出すとわけわからないし、

「経営者と養子縁組して労働法の適用を免れる」にはハードルが高すぎる。

結局のところ働きたくて働きたくて仕方ない人たちの働く場所は無いということになる。一つあるならば自ら経営者になることだけか。それもまた酷。

 

僕は無責任に休め休めというが、休んで何するのかは個人の自由だし、難しい言葉を使うと個の侵害というやつなので休日のことは何にも聞かない。

 

休んで旅行のお土産なんかがあったときはサンキューだし、休み明けにパートナーとのデートの話なんかをされるととても微笑ましいが、じゃあなにもしていない(どこにも出かけていない)のに休んだ人たちは負い目があるのではないかと勝手に配慮してみる。

  

いま経営者は、ひと昔前まで暗黙に抹殺されていたハラスメントや労災隠しや労働紛争や未払い賃金や退職報復に必要以上におびえていて、配慮の配慮まで配慮しなければならなくなっている。休息の強要もハラスメントになりかねない。

 

ところで、休みの日に本当に勝手に出社する奴を、会社はどんな優しい言葉で帰らすのだろう。

 

休むのも仕事。は仕事が生き甲斐の人には詭弁。

 

そんなに休ませて何させるの?

そんなに休んで何すればいいの?

 

知らんがな。休め。

 

 

 

 

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好き嫌いの無い人事はあまりに不公平

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あの子は社長のお気に入り。

上司はあの子にだけ甘い。

 

どの組織においても同じようなことがよくある。

 

待遇がよいと社長の愛人などと噂する下劣な精神の人間も多い。

 

さて、人事はルールに従って運営することが基本であるが、ルールに厳格なだけでは組織運営はできない。厳格さの中にも配慮の心を持たなければ公平と思っているだけで不公平になっていることはよくある。

 

例えば、毎日早めに出社し予期せぬ交通機関の遅延等で遅刻しないよう心がけている従業員と、常に数分前に慌てて出社する従業員の遅刻は同じ扱いでよいだろうか。

 

暴飲暴食やジャンクフードが主食で急な病欠ばかりの従業員と、そうでない従業員の欠勤は同じ扱いでよいだろうか。

 

既婚か独身か、子の有無や家族構成で不就労扱いを変えることは公平か。

 

喫煙者と非喫煙者の残業時間は同じ扱いでよいだろうか。

 

卑屈な人間と闊達な人間も同一労働であれば同一賃金か。

 

以上の例でも一様に同じ扱いをすることは公平と呼んでいいのだろうか。

  

労働関連法では労働時間や懲戒処分について厳しく定められているが反面、赦免や評価については経営の判断で全く問題ない。評価は当然として、多少の赦免も公平性のバランス維持には必要だと考える方が合理的だ。

 

組織とはいえ、個の集団である以上それぞれ事情があり、ルール違反の徹底処分はマネジメントの放棄ともいえる。やはり日ごろの行いを基準とした好き嫌いで人事行使することは必要なことだと思う。好き嫌いの無い公平な人事方法があるならば是非教えてほしい。

上司の顔色ばかり窺うヒラメ人間を嫌う人間は多いが、組織は指揮命令の上意下達で成り立っている。同族を除き労せず出世するものなどいない。上司の顔色を窺わず、自分で自由に仕事をしたいのなら組織に属さずその優れた能力を大いに奮って社会の役に立てばよい。労働契約ではなく業務委託に切り替えてほしいと会社に進言するのもアリだ。

嫌な上司に媚びへつらうことすらできない人間が、嫌な客やトラブルに対して毅然と対応できるかどうかも怪しいものだ。嫌な人間ともうまく付き合える人間を評価しないのならばそれも不公平なのだ。

 

 信賞必罰と赦免の使い方で従業員のモチベーションは大きく変わる。ルールに厳しいだけの下手なマネジメントでは優秀な社員の士気を下げるばかりで、現代の企業にとってはマイナスしかない。能力や経験は本人次第だが、モチベーションだけは組織運営に理由がある。

 

 だからと言って特定の人間ばかりを食事に連れて行ったり、労働時間外での付き合いによって客観性を失う(処分が甘くなる)ことはよくあることで、管理者と労働者が過度に親しく見えると余計な誤解を招くので注意したい。

 

良きマネージャーとはつまり、上手に好き嫌いのできる人物である。

不公平に不満ならば自身の信用を高めるしかない。我がを顧みず卑屈な人間は誰からの信用も得られず赦免されることもない。また信頼とは評価であり、評価のない者に重要な仕事は任せられない。信頼とは良き今の積み重ねの総量なのだ。

 

働く側も、自分にだけ厳しいとか、給与が低いとか、裁量を与えてもらえないと不平に思うときには、自分は信頼される人間であるか客観的に考える必要がある。信頼を得ている人物は総じて、他人に見えないところで工夫と苦労を重ねている。不平不満ばかりの卑屈人はどの組織においても必要とされることは無いので少なくともお金の文句だけは言ってはならない。そして簡単な仕事には安い報酬と相場は決まっている。

社会にかかわる以上は役に立つ人間であるほうが働く喜びも増す。人と比較せず自分の能力を磨き、信頼できうる人には人が集まり、仕事が集まり、いずれ富は集まるのが摂理。信頼のない人間には何も集まらないのも摂理。自分本位の公平を期待せず、信頼という好き嫌いで経済が回っていることも理解すれば、世の中は少しは働きやすく生きやすい。

 

 

 

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AIの家畜となるか、AIを飼うか。

副業許可の圧力が押し寄せている。

 ワークライフバランスだの、働き方改革だの、サマータイムだの、労働時間是正だのと官僚に言われると、働くことはそんなに悪いことなのかと私のような古い人間は思うのです。っていうか厚労省は口だけで自分とこ超ブラックやんけ。

  そこへきてまた副業を許可しろしろアピールで、働かせたいのか働かせたくないのかどっちやねんとも思うのです。

 私も一応経営者でして、労務についても少しは齧っておりますので良いこともあるとは理解していますが、さて鵜呑みにした人たちが求める自由で多様な働き方について、老婆心から非常に危惧しているこの頃。

さてそんな当社は、副業は鼻から禁止しておらず、また許可もしていない中途半端な状態が続いております。実際に既にダブルワークの従業員もおりますので、「明文化していないが実質的に許可している」状態です。

 しかし、経営者という立場上、法律はしっかり守らなければなりませんし、許可するのならば当然条件も付けるべきだというのが私のスタンスです。世の副業者(複業含む)の半数以上は収入の増加が目的とのことですが、さてその収入は何に使っているのでしょうか。

 耳障りの良い標語に扇動され労働を否定している人たちの本業は何なのか、何がしたいのかという自己の指針を持たずに働く行為から逃げている人もいるのではないでしょうか。

豊かさはいらないから、自由な時間が欲しいというなら理解できますが、豊かさも自由も欲しいという人はいませんか?そんな都合よく世の中はできていません。あなたが得た自由はだれかの不自由によって成立し、その若く都合の良い自由の代償は、将来老いたあなたが負うかもしれません。一時の安楽のために、将来を犠牲にしていませんか?働かざる者食うべからずって知ってますか?

 

さて副業の条件を考えてみましょう。私の会社は事務専業ですので、頭をフル活用したデスクワークをみっちり所定時間行う必要があります。正直疲れます。

 よって第一に、業務に影響がないこと。は絶対条件です。

残念ながら人間は疲労する生き物ですから、業務外のことで睡眠不足や疲労によってパフォーマンスが下がることは禁止しなければなりません。

 それから、同日の労働であれば本業より後にすること。

これは、労働時間の算出は副業であっても通算すべきと法は解釈しているからであり、当然発生する割増賃金は通算して後の会社が負担することがルールとなっているからです。実態として把握できませんので守っている会社は無いようですが、短い時間しか提供していないのにいきなり割り増し賃金は経営者の立場からするとあまりにも酷です。他の社員との公平性も問題となります。社会保険と税金は見逃せませんが長くなりますので割愛します。

 そして、本業の機密事項を流用、又は技術を提供する業務に従事しないこと。

これも大切なことです。同業者へ行けば健全な競争原理の阻害となり、また情報漏洩は懲戒の対象となりますので許可することはできないでしょう。

 そんなこんなで、結局のところ労働に該当しないようなボランティア活動や経験値獲得のための多様な職業をチョイスして同時並列的に行うことが望ましいのでしょうがさて、本当にやりたいことがあるのなら、副業のような安全を踏みながら中途半端に実施して事をなすことができるでしょうか。兼業であれば収入ゼロのリスクを回避する方法としてアリですが、兼業等の多重就業は報酬支払者すべての了解を得ておかなければ後で面倒なことになることは言うまでもありません。

  

どうせならば目先の利益にとらわれず、将来の自分へ投資するために鬱になるほど勉強してみたり、自分の秀でた才能を徹底的に磨いてみたり、未知の世界へ無防備で飛び込んでみたり、アイドルオーディションに応募してみたり、器用な手先を活かしてオンリーワン商品を作ってみたり、関係のない他社で非常勤の取締役になってみたりしたほうが健全です。ちなみに、お金は無くてもアイデアと熱意があれば起業できます。社長になりたいならどんどん起業しましょう。

 言葉の響きに惑わされて将来の自分を犠牲にしないよう、副業も、本業も、しっかり将来の投資となるような選び方をすることが必要で、お金が無いと言い訳する人間はお金に縛られ、一生誰かに隷属して愚痴るだけで、充実した人生という喜びは見つけられないでしょう。

 ワークライフバランスって言ってるくせに、家でテレビ見てるだけならすぐAIの家畜となるし、誰でもできる簡単なバイトを掛け持ちする程度ならば責任のある仕事でスキルを高める苦労を重ねた方が良いでしょう。追い抜かれたら二度と追い付けないのです。

 

一日でも長くAIの先を走っていられるのは、日々努力と挑戦を重ねた者たちだけ。

 副業するなら将来の自分のために。世の中は苦労するほど甘くなる。

 

 

RESUS社会保険労務士事務所

山田 雅人

労働基準法守ってる方が会社はうまくいく

経営者は言う。

 

「法律守ってたら会社潰れるよ」

 

本気か冗談か、本気ならば苦笑いだ。早く潰れてくれ。

 

法律は、人類の叡智である。

 

沢山の失敗や、悲しい事件を教訓に法律という形でルール化されている。

それを無視してしまうことはさすがに偉い社長様でも許されることはない。

 

労働基準法も、強制労働や、労働時間の上限など、問題点を少しずつ改正して今に至る。労働者のために整備されている法律だ。

 

経営におけるサービス(提供する付加価値)は、働く人たちが与えられる労働にプライドを持って働いているかどうかで大きく変化する。プライドを捨ててまで苦しい仕事を選ぶ理由は、苦しみの対価をお金に置き換えて納得できるかどうかで決まるが、やはりそんな会社のサービスの品質は低い。

 

裏を返せば、プライドを持って働くことができるならば、将来の自己実現とキャリアアップ、会社を通じた社会貢献の実感など、給与以外にやりがいをもって働くことができる。つまり極論、給与は安くてもかまわないのだ。

 

法律をしっかり守り、働く人たちのプライドを守ることは、離職やモラルハザードの防止、余計な人間関係のひずみを解消する唯一の手段である。

 

会社のような人で構成される集団は必ずルールが必要で、法律というルールを守ることが秩序維持に必要不可欠だ。

 

適切に維持された秩序の下であれば、皆が活き活きとはたらくことができるし、利益の一次的な受け皿である会社は高品質のサービスによって大きな見返りを享受することができる。

 

さらに利益の再分配として従業員へ還元すれば、ひたすらに良好なスパイラルに乗り、業績は向上する。

 

法律を守らない会社では、当然従業員もルールを守らない。守る必要もない。

自分だけのルールを守らせようといつもイライラ不機嫌な経営者の下では誰も育たない。人が育たない組織は必ず衰退する。

 

上機嫌に、皆で目的に向かって猛烈に働くためには、労働基準法を徹底的に守ることが第一歩なのだ。法律を守らないなんて恐ろしくて経営者ならできないはず。

 

守らない会社が得をすることは無い。必ず後で帰ってくるのが因果応報。

 

 

 

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社長はヘラヘラしてるほうがいいと思う

最近怒った記憶が無い気がする。

 

会社を興してもうすぐ2年、僕は恐る恐る社員に聞いてみたが、

 

 「いや、怒られた記憶ないんですけど~昼行ってきま~す」

 

 はい行ってらっしゃい。

 

そういえば僕は怒れない。恋人ともケンカしない。怒るも叱るもしない。アンガーマネジメントなどというおしゃれなものではなく、怒ることのメリットを見出せない。感情でうわーっとなることも無い。怒ったら倍返しされることを知っている。損得勘定で生きている僕は徳のない行動はしない。

 

営業において必要なことは、相手を自分の思う方向へ行動させることで、それは言葉と感情を相手に伝える必要がある。

 

大げさに喜んでみたり、手紙を送ってみたり、泣いてみたりそして怒って恫喝してみたり。人を行動させるための方法はいろいろあるけれど、持続する経営においては長く会社に定着してくれることがまず前提で、目下の行動を誘導することが目的ではない。経営は、即時の結果を求めても意味がないのだ。そういえばわが社の社員も取引先や協力事業者たちも怒らない。昔はよく怒っていたおじさんも今はただの陽気なパシリに成り上がっている。

 

怒る必要がなくなると優しくなれるかというとそうでもないが、怒る必要がなくなると人間は怒る能力を失ってしまうものなのだろう。そしてなんと穏やかに充実した日々か。

 

僕はヘラヘラして生きていたい。

 

みんな怒らないでね。

 

RESUS社会保険労務士事務所

山田 雅人

 

 

バックマージンという病

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バックマージン。それは甘い囁き。

バックマージンはあなたの周りに確かに存在するが、目には見えない。

その携帯にも、その服にも、あの広告にも、どこにでも存在している亡霊。

 

そう。バックマージンとは、リベートやキックバックなどとも呼ばれる、取引の第三者に紹介料やコンサルティング料などといった名目でこっそり支払いされるお金だ。亡霊ではない。

 

皆さまはバックマージンを知っているでしょうか。

バックマージンを要求したり、受け取ったりしていませんでしょうか。

  

仕入原価や人件費、その他ビジネスに必要な原価を算出したうえで顧客から料金をいただくことが商売の原則だが、バックマージンを認容するとその分をさらに上乗せして顧客に支払ってもらわなければならない。

 

ブローカーと言われる人たちはバックマージンで儲けているから負のイメージがある。

 

僕も不動産業界が長かったが、あらゆるお金にバックマージンが絡んでいて、入居者や買主などの顧客からいただく手数料報酬が主な原資だ。顧客もバックマージンで貯めた金を使うのならばいいけれど、そうでもない人がほとんどだ。

いわばバックマージンは大小あれど顧客を欺く行為で、営業的には禁じ手だ。わかっていなければ目を覚ました方がいい。

はじめは負い目のあったバックマージンも慣れて麻痺してしまうと平気になる。

中には個人で受け取りたい輩も存在するが、これは背任や横領といった立派な犯罪行為になり得る。

ちなみに、私も若いころは地主に取引の謝礼として商品券や現金を受け取ったことがあるので、無知とはいえ私も手を染めていた。

 

それ自体はただちに違法ではないが、顧客に公開できない闇取引。長生きしたければ誰に見られても胸を張れる仕事以外はしてはいけない。必ず後でさらに苦しいことが待っている。ややこしい奴だったら最悪で、たかられたり脅されたりして末路を想像するのも恐ろしい。

 

事業とは、 お互いの信頼関係を基礎として成立している。

 

僕はバックマージンを要求してくる輩とは取引しない。その内容を取引関係者に開示しているのであれば構わない。情報社会の商売は公開を原則としなければならない。隠してもどうせバレるから。マージン取られて疑わない奴は金なんて持ってない。

 

適正なマージンとは、公開されていることに尽きる。率の問題ではない。

 

関わらないほうが身のため、大切な会社のため。

 

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RESUS社会保険労務士事務所

山田 雅人